いじめってなんで起こるんだろう?

自己肯定感UP

小学校、中学校、高校。そして大学や職場。
あらゆる集団で、「いじめ」という現象は起こり続けています。

昔からずっと疑問に思ってたんです。
なぜ人は人をいじめるのか。
なぜいじめは、年代や場所を問わず繰り返されるのかと…。

人間の本能に潜む「排除の論理」

人間は社会的な動物です。
集団の中で生きることで、安全を確保し、
生存確率を高めてきました。

しかし、この集団性には
「内と外を分ける」という性質が備わっています。

「仲間」と「よそ者」を区別し、
仲間を優先して守ろうとする。

この本能的な反応が、
時としていじめのもとになります。

集団の中で「異質」とみなされた人に対して、
排除しようとする力が働く。

それは太古の昔から人間が持ち続けてきた、
生存戦略の一面でもあります。

不安と恐怖が生み出す攻撃性

いじめを行う人の心理を深く見つめると、
そこには「不安」や「恐怖」が隠れています。

小学校の頃、髪をピンで留めていただけで
「それ、可愛いと思ってるんでしょ?」
と女の子にからかわれたことがあります。

また、男の子たちが大声で
失態を晒上げる光景も目にしました。

なぜ人は他人の外見や行動を揶揄するのでしょうか。

そこには、
「自分の立場が脅かされるのではないか」
「自分が標的にされるのではないか」
という漠然とした不安があります。

また、他人を下げることで相対的に自分を上げる。
自分より「劣る」人を作ることで、安心感を得ようとする。

学校では成績や人気、容姿への不安。
職場では評価や地位への不安。

こうした不安が強いほど、
他者への攻撃性として現れやすくなるのです。

集団心理の恐ろしさ

個人では決して行わないようなことでも、
集団になると平気で行ってしまう。

これは心理学でよく知られた現象です。

中学生の頃、あるクラスの中心的な女子グループを見ていて、
私は驚き、その行為の意図を全く理解できませんでした。

その6人の女子グループは、1週間程の周期で
グループから一人ずつ仲間外れを作っていたんです。

昨日まで仲良くしゃべっていた子が、
次の日には完全に無視される。

無視された子は、グループ内に行き場がなくなり、
普段接しない私や他の子と一緒に行動するようになる。

そして最も理解できなかったのは、
仲間外れにされた子が、何日かすると再びそのグループに戻り、
今度は一緒になって別の子を仲間外れにすることでした。

「みんながやっているから」
「自分一人が止めても意味がない」
「空気を読まないといけない」

集団の中では個人の責任感が薄れ、
普段なら持っているはずの罪悪感や共感性が麻痺してしまいます。

そして、ひどい扱いを受けた被害者でさえ、
加害者になって、自分の居場所を
確保しようとすることがあるんです。

権力と支配への欲求

人間には、他者を支配し、優位に立ちたいという欲求があります。

これは必ずしも悪いものではありませんが、
歪んだ形で現れると、深刻な問題を生み出します。

私の職場でも、所謂パワハラに該当するであろう上司が居ました。

思い通りにいかないことがあると
「お前はバカだ」「使えない」と暴言を吐き、
壁を殴り、物を蹴る。

また、職場のロッカールームで毎日のように
誰かの悪口を言い続ける人もいました。

「あの人は仕事ができない」「○○ができていない」と。

なぜ改善してほしいことを直接本人に伝えず、
影で他人を貶めることを楽しむのでしょうか。

相手を傷つけることで自分の力を確認し、支配感を得る。

相手が苦しむ様子を見たり、
貶めることで、自分の優位性を実感する。

こうした歪んだ満足感が、
生産性のない、暴力的な行為を増長させるのだと思います。

共感性の欠如と想像力の不足

いじめを率先して行う人に共通するのは、
相手の痛みを想像する力の不足です。

自分がされたら嫌なことでも、
相手の立場に立って考えることができない。

相手も同じように傷つく人間だということを、
頭では理解していても、心から理解できていない。

この共感性の欠如は、幼少期の環境や経験、
そして現在の精神状態に大きく影響されます。

環境と構造の問題

個人の資質だけでなく、
環境や構造にも問題があります。

競争が過度に煽られる環境。
個性や多様性が認められない雰囲気。
助けを求めることが「弱さ」とされる文化。

こうした環境では、いじめが起こりやすくなります。

また、いじめを見て見ぬふりをする「傍観者」の存在も、
いじめを継続・拡大させる要因になります。

連鎖する「いじめの構造」

いじめられた経験が、別の場面でいじめをする原因になる。

親からいじめられた子どもが、学校でいじめを行う。
学校でいじめられた子供が大人になり、職場でいじめを行う。

過去にいじめを受けた恐怖心から、
「また、ああなりたくない。」と傍観し、
結果的にいじめに加担してしまう。



自分が受けた痛みを、復讐心や恐怖心によって、
より弱い立場の人に転嫁していく。

この負の連鎖が、いじめという現象を永続化させているのです。

いじめを完全になくすことはできるのか

正直に言えば、いじめを完全になくすことは困難かもしれません。
人間の本能や感情、社会構造に深く根ざした問題だからです。

でも、減らすことは可能です。
そして何より、いじめが起きたときに適切に対処し、
被害を最小限に抑え、加害者にも教育を行うことはできます。

それでも、希望はある

いじめの原因を探り、人間社会にとって根深い問題だと
いうことが分かりましたが、絶望する必要はありません。

裏切る、けなす、揶揄う、悪口、暴言、暴力。

このようなことを減らし、
建設的なコミュニケーションをとることができれば、

心を傷つけられ、
学校にも会社にも行けなくなって
悩む人が減るのではないかと思います。

人間は学習し、成長し、変化することができる生き物です。

共感性は育てることができ、
多様性を受け入れる心は養うことができます。

直接的で建設的なコミュニケーションのスキルも、
学ぶことができます。

一人ひとりが自分を深く理解し、
自分の中にある攻撃性や偏見と向き合うこと。

そして、困っている人に手を差し伸べる勇気を持つこと。

「なぜこんなことをするの?」という
素朴で正直な疑問を持ち続けること。

経験、本、人間関係、自己理解、
方法はたくさんありますが、

ひとりひとりが、自分の心を柔軟に育てて
行動に移すことが何より大切だと思います。

小さな変化の積み重ねが、
やがて大きな変化を生み出すはずです。

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